私には、オヤブンと云える方が三人いらっしゃる。
学問や臨床のおもしろさを教えて頂いた先生
基礎研究を指導してくださった先生
指導者はどうあるべきかという帝王学を教えて頂いた先生
彼の先生に初めてであったのは30年ほど前の事である。
学生実習の見学で、その病院を見学した。大学からは車で10分ほどのところにその病院はあった。近隣であるが、その病院の外観のみならず手術室内に入った途端まるでタイムスリップしたかのような感に襲われた。
卒後毎朝その病院の前を通って大学病院に通っていた。その病院では働きたくないとも思っていた。
指導医の試験も終わり、研究室通いをしていたある日、教授から近い内にその病院に出向するように言われた。話を聞いて私は憂鬱になった。何故にそんな古臭い病院に派遣されねばならないのか、不満で一杯であった。数日後突如彼の先生から三日後に来るように言われた。
悶々としながらの登院初日、手術室内の設備やら薬品及び麻酔法を見せて頂いたが、それまでの大学での環境と余りに違うことに戸惑いすら感じた。生意気だった私は、二十年過去の世界に入り込んだと感ぜずにいられなかった。当時彼の先生は二人の研修医を指導していた。翌日、彼の先生は外来診療に出られ、手術室は私に任された。その隙に私は研修医を使いながら手術室内環境の大改革を行った。全てを大学と同じようなレベルに近づくべく変更を行った。外来診療から戻った先生は、二十年彼が作り上げてきた職場環境を私が数時間のうちに大幅に変更した事に気づかなかったはずはない。先生は笑顔で一言云った「明日からの手術室は君に任せるから」。人生では三十年、麻酔科医としては二十年先輩の彼の先生に、してやったりと思ったほどに私は浅はかであった。
私の研修医指導は厳しいものであったと思う。知識と技術だけは大学に劣りたくないと常日頃考えていたからだ。
麻酔の臨床現場やカンファレンスの場に彼の先生は必ず同席なされた。彼の先生は私が指導している間は一切何も言われなかった。彼の先生は、二十年の経験と知識を私に強要しなかった。それ故、ある日私の方から何の躊躇いもなく彼の先生にご教授賜るよう願い出た。質問すれば、いつも立て板に水の如く次々に彼の先生は惜しげもなくその知識を分け与えてくれた。彼の先生の学問的知識レベルは古くさいと思っていた私は大きく反省した。この頃から、幾つかの大学から私に移籍するように請われたことがあるが、彼の先生の魅力からは離れることが出来なかった。
私がその病院に赴任した翌年であったと思う。彼の先生が学会の会長になって会を主催することが決まったという。地方部会とはいえ、会員数は二千人を越える。学会参集には約千人が見込まれる会である。その会を行うには大学の協力が必要であることは否めなかったが、イニシアチブは彼の先生と私で取る事にしたと伝えて下さった。会長である先生は学会の大枠を考えられ、責任は自分が取るからと、会の運営の詳細すべてを私に任せて下さった。現在もそうであろうが、学会を催す事には運営資金が年々増加していた。また、年々派手な学会を催すことが会長となった教授や大学のステータスシンボルかのような履き違えとも言わざる風潮にあった。如何に協賛金を集め、かつ運営費を制限するかという計画を立てることも私の仕事であった。見かけではなく中身のある会にするにはどうしたらよいか、理想の学会開催を目指して彼の先生と話し合った。従来の学会抄録のように、協賛金目的のみで、会員には利用価値のない宣伝広告を排し、別冊として医療機器の比較検討出来るよう統一したスぺック表を記した麻酔科機器要覧を作成した。これには多くの医療機器会社も賛同して下さり、役に立つ印刷物として学会後にも各麻酔科医局の蔵書となった。また、大学医局への協力要請は最小限にとどめ、受付などの人員は当時の病院附属看護学生有志の協力を得ることにした。今思うと、当時としては可成り大胆な計画を実行できたと思うが、これもひとえに彼の先生が私に自由を与えてくださったからであろうと思う。そのご、彼の先生は副院長になられた。激務の中、屡々手術室の麻酔科臨床にご協力してくださった。数年後私は国家公務員を辞して元の大学に戻ることを考えた。多くの他科の先生方が慰留を申し出られたが、彼の先生と外科の医長だけが私の将来をと考えて大学へ戻ることを薦めてくださった。
私が、彼の先生をオヤブンとして尊敬するのは、上司であるべき姿を身をもって示してくださったことである。私に才能があったかどうか判らないが、自由に行動をさせてくださった、そして成果を上げることが出来た。もちろん、時には彼の先生が尻拭いをして下さっていたに違いない。
また、彼の先生が他の先生方、即ち私の出身大学の教授達のようであれば、単に私の行動を束縛し、且つ業績を上げれば疎まれるのみならず、自己のモノとされたいたかもしれない。
彼の先生は、私にとっては「指導者たる者」の道を教えて頂いた偉大なオヤブンである。
私の診療モットーである「威張らない、媚びない」は、彼の先生のお教えのような物である。
不思議なこと。
私自身の体調管理不手際により葬儀に参列できないとなったときに、彼の先生の奥様にお悔やみだけでもと、出先から電話をした。残念ながら電話は通じなかった。ものの数分後、自宅の家内から、彼の先生の奥様から電話が入ったことを知らされた。私が彼の先生のことを想い、連絡を取りたいと願っていたことが奥様に通じたような気がした。奥様のお声を十五年ぶりに聞くことができた。安らかに眠られたと聞いて安堵した。
二十年も前ですが、七年に亘り、バカ医者を親身にご指導していただきありがとうございました。オヤブン 安らかにお休み下さいませ。 合掌