30年ほど前だったか、毎日毎日強烈な顕微鏡の光で網膜を焼いていた。いや、そのつもりでも目的でもなかったのだが、生きている動物を用いてその血流中の白血球の動きを観察し定量化するには顕微鏡の光量を増さねばならなかった。現在も残っている不治の網膜損傷は博士号取得の為の名誉の負傷と言うべきか。
白血球は直径約8μmの透明な球体細胞である。内径50μmほどの細静脈内での白血球の動きを定量的に測定することは急性炎症の機序を解明する鍵であった。
観察野組織の上に動物の全身には全く影響を及ぼさないほどの極微量の薬物を局所投与して急性炎症を起こし、白血球が血管内皮に固着し血管壁をすり抜けるのを観察していた。麻酔科臨床医でもあった私には、薬物投与というものは全身投与が一般的であるというのが常識であったが、生体における微小循環の研究では、特に炎症反応を定量化し薬物の直接的な作用を研究するには全身投与ではなく局所投与が必要であると言うことを指導教官であった薬理学の大教授に教わった。
局所投与の薬物反応は全身投与と同様に薬物の用量と反応には密接な関連がある。すなわち、ある薬物が生体に影響を与えるには濃度依存性関連があるのであって、薬物という名前によって反応が起こるという事はない。
前置きが長くなった。
私が、顔面皮下にプラセンタなどの薬物を注入して肌への好影響を得ることを得意としている発想の源は「局所への薬物投与の目的と意義」があるからである。
ネットサーフィンをしていたら、可也古い記事であるが「顔面プラセンタ注射」に関しての紹介記事があった。内容は一般人にも分かり易く平易な文章で書かれていた。顔面皮下にプラセンタを直接注入することに関して肯定とも否定ともとらえられるような書き方がされている。従って敢えてその文章に反論するのではないが、筆者は詭弁を使い真しやかに読者を騙しているとしか思えない記述があったので補足並びに修正したい。否、微小循環観察などという特異的な研究をした者でなければ、局所投与の意義は全く理解できなくて当然かもしれない。
顔面の皮下に直接注入しなくとも或いは、したとしても注射されたプラセンタは結局のところ血管内に吸収されて全身を巡るのであるからして敢えて顔面皮下に注入しなくとも臀部や他の部位へのプラセンタ注入でも顔面肌に好影響を与える。と言っている。医者の中にも同じような考えを持つものがいるらしい。確かに、極めて真面なことを述べているようであるが、ここでは薬物濃度というものが考慮されていない。すなわち、全身のどこにプラセンタなどの薬物を注射しても、顔面皮膚にもその薬物は到達すると考えることは間違ってはいない。プラセンタという名前の薬物は確かに肌組織にも到着するかもしれないが、薬理効果を発揮するには満たないほどの極微量或いは効果が極めて軽微であるほどにしか到達・存在しないであろう。
また、ここで考えねばならないのは局所以外の所に投与された薬物による遠隔領域での反応は薬物直接の作用ではなく全身反応の結果としての間接的事象とも言える。先ほどの微小循環の話に戻れば、組織血流の悪化は局所血管を圧迫などしても起こる事象であるが、全身の循環が悪くなれば末梢組織の血流は自ずと悪化する。
プラセンタ全身投与によって確かに顔面肌の改善が認められるが、それはプラセンタ注射の目的である局所へ高濃度の成長因子群を投与すると言う事ではなく、全身血流などの改善結果として顔面肌が良好になると考えるべきだ。
薬物の量と効果が無縁だというのなら、横綱級の大人に対し新生児に投与するような薬物量で同様の効果を期待するのかと、問うてみたい。
また、屡々見られる間違った解釈としては、プラセンタを注射するとその部位が赤く腫れるが、その部位に注射薬が留まっている証拠であり、その部位から徐々にプラセンタの成分が放出されると言うものである。誠にそうであろうか?プラセンタを脂質に溶いて注入し、血管からの吸収を遅延させるのであればその理論を信じないわけではないが、医薬品のプラセンタ注射薬は水溶性である。すなわち易吸収性なのである。また、注入による局所の腫脹はそれ即ちプラセンタそのものであるという理解も間違いであると考える。腫脹の原因はプラセンタに含まれる成長因子群による局所炎症の惹起と細静脈からの水の漏出である。大火事後の焼け跡を見て即ち火が未だ存在すると判断するのと同じである。結果を見たからと言って原因が存続しているわけではない。
局所の腫脹などはプラセンタ皮下注射の副反応であるが、薬物使用目的の有益性が副反応による不都合を凌駕しているから用いるのである。まして、腫れたり痛みが出たりという不都合な副反応が大きいほど有効なのだとかいう言葉は信じたくないものである。
注射は痛いのは当たり前、と信じて疑わない人も多いであろう。でも、痛くても痛くなくても効果が同じなら、痛くない方がいいに決まってる。まして痛みがあるから主作用が出るなどと治療者側の勝手な理論に惑わされて辛い思いをしながらも治療を受けさせるというのは如何なものか。治療における不都合は出来るだけ少ない方がいいに決まってる。治療者は詭弁を用いることに努力するのではなく不都合を軽減させるよう、もっと努力してもいいんじゃないかな〜、とひとりごつ。。