寒い日が続いているとはいえ、この関東では一昔に較べれば暖冬と言える。正月休みには小学校の池の氷割遊びに行っていた覚えがある。そのころと比べると、歳の瀬の感も新年を迎えるという特別な心持も虚ろになった気がする。クリスマスであるとかバレンタインデーなど異教徒の習慣をお菓子商戦に応用した者によって、日本古来からの年末年始の趣が圧排させられた感もある。また、至極便利なことではあるが、元旦からコンビニエンスストアは開店している。五十年程前は元旦から開いている店は、子供の懐のお年玉を狙った駄菓子屋だけだったと記憶している。勿論私も貢いでしまっていた。
時代の流れはだれも止められない。
自分は弱者だと叫ぶよう焚き付ける者、実は弱者ではない者達もいるであろう。給食費も支払わないで遊興にはしるなど理解困難な親達など。本当に権利を用いてほしい人々にも公は目を配っているのであろうか?結局、大声で主張する者が一番得をする世の中に成り下がっているのではないかと思う。
来院する方たちにも時代の流れを感じる。
何十歳も年下の患者から、椅子に踏ん反り返りながら「うん」だの「あ~」だのの返答が来る時には、之が我が息子だったら殴ってやるとすら思うこともある。
数回も来院していないのに、何十年来の付き合いのようにといえば聞こえが良いが、同年代のオトモダチのように話しかけてきたり、甘えた風に注文を言ってくる中年女性もいる。
これが、近代化・西洋化というものであろうか?儒学などという言葉や礼儀などは死滅したのであろうかと嘆かわしく思う。
何回となく良い子のお返事をするのだが、数日経つと再び同様の質疑応答を繰り返さなくてはならないご婦人がいる。まっ、これはいつの世にもいるから諦めるとするか。
来院者に付き添ってくる方たちにも時代の流れを感じる。
時として、お子様連れでご来院になる方もいる。本来クリニックなどという処は、病気持ちの方が来られるところであるからして、幼小児を連れてくるべきではない。然し乍ら、ご家庭によっては一緒でなければならない事情もおありであろう。それをとやかく言うつもりはない。然しお子さんの教育に物申したい。自宅と間違えているのであろうか、他人の迷惑や器物破損の意識なく傍若無人に走りまわる。挙げ句の果てには待合室のテーブルに落書きを始める。親は子供に注意しているのだろうか定かではない。然し乍ら、子供の行動に変化が無いという事はこの親にしてこの子ありという理解しか成り立たない。
愛情と放任を同義語だと思っているのか、子供に嫌われるという危機感なのか、子供を叱らない親が多すぎるのではないかと、親や教師に殴られながら成長してきた私としては些か疑問を持つ。
親のすべきことは子供が自立できるように導くことであって、手を引いているつもりであろうが単に子供の足を引っ張っているとしか思えない。
モンスターペアレントという言葉が世に出回って久しいが、だからといって誰も反省していない。何故か?やくざのような親達であろうが、と言うより仁義もヘッタクレもない者達であるからチンピラ親達であるからして反省などという言葉はあろうはずがない。流行に則って、権利の主張や義務や責任転嫁が得意なのであるから。こういう輩は大方、自分だけは正義という意識が強すぎるのではないか?
イケメンとかイクメンとか訳の分からない言葉が作られている。男に対するセクハラの何物でもない、と私は思う。
いずれにしても馬鹿なオンナに尻尾振っているだけではないか?
何となくではあるが、バカ親が増えたのはマイホームパパそして馬鹿を多く作るための政策であった「ゆとり教育」の賜物では無かろうかと考える。
個人の権利を否定したり弱者を排そう等と言っているのではない。いわゆる弱者をも含め、個も社会の一員であることを忘れてはならないと言いたいだけである。権利やら責任の前に、思いやり。フレンドリーも良いが、マナーや礼儀節度は必要ではなかろうかと言いたいだけである。
くたばれ 風邪薬
厳密には、「かぜ」という病名はない。あくまでも症状群の総称であって、それも多くはウイルスによる上気道(鼻・咽頭・喉頭)の急性炎症を呈するものである。従って、「風邪薬」などというものは存在しない。ただ、風邪症候群の症状を軽減させる目的で使用される薬物を気軽にも風邪薬と呼んでいるにすぎない。即ち、「風邪薬」は、インフルエンザに対する特効薬や細菌性気管支炎に対する抗生物質のように、病因に対して直接に働きかけて治癒させる薬物とは全く異なるものである。
然し乍ら、風邪になったら、かかったかなと思ったら、アナタの風邪には、など低俗な宣伝文句云々云々を並べ立て、さもそれらの「風邪症状改善薬」が風邪を治すかのように消費者を騙しているにすぎない。いや、注意深く読み聞きしていると製造者側もそのことを理解しているようである。なぜなら、薬物によって異常が出たり治らない場合には医療施設に行けとうたっているではないか。
もっと面倒なことがある。「風邪症候群」がウイルスによるものか細菌感染によるものなのか症状初期段階では判断困難である。日数が経って悪化して初めて診断が容易となる。一般的な風邪症候群はウイルス性感染症が殆どであるから、細菌感染にしか有効ではない抗生物質の処方は全く無意味である。いわゆる「風邪薬」によって治癒しないまま症状隠蔽を繰り返していたのならば、二次性細菌感染を起こし抗生物質のお出ましとなることもあろうが、基本的には風邪症候群初期は、自己免疫力によるウイルス増殖阻止と体力温存が肝要である。
当院患者様達は、風邪症候群で来院された時に白血球数の増加はないか、あるいは炎症反応は出ていないかという定量的な変化についての理解度が高い。即ち、単に風邪と言う事で、ろくに診察もせずに症状改善薬と共に抗生物質を処方するという巷の一般的な診療を嫌うようである。従って診察開始とともに採血検査し、身体や上気道の診察が終わったころには検査結果が出ているので、それと診察所見から合目的な処方をすることが当然であると理解している方たちである。しかし、数年に一人位、「風邪で採決された経験はない」と言ったり、「風邪なんだから風邪薬出せばいいんだよ」と言い放つ患者が来ることがある。まあ、この方たちは二度と当院には来られないので、益々理解力の高い患者様だけが当院に残って頂ける事になる。その方達への診察時間を減らさないためにも、検査目的を理解できない方に時間を使うことは無駄だと思っている。世の中、医者を選ぶのは患者であるが法的には医者は患者を選ぶことは出来ない。としている。然し乍ら、ご来院されないように仕向けるのは合法のはずである。
身の程知らずの 自惚れ国民
日本人は、日本人が世界で最も勤勉で器用で真面目であると思っている。そんなのは妄想である。馬鹿なマスコミはその様に国民を洗脳している。単に井の中の蛙国民である。何となれば、日本は他国と違って創造性がないではないか。
嘗て英国に行った時に彼らに話したのは英国はinnovation の国であり日本はimitation が得意な国であると説明した。
愛国心は崇高なものだが、その国民のみが優秀な種属であると思い込んでると嘗てのナチズムと何ら変わりはない。
毎頭には私なりに目標を立てていたのだが、毎年の繰返しとなっている。
やれないことに屁理屈をつけて、やらないと逃げているだけなのか、自分の身の程知らず、否、単に知識が足りない無能さなだけなのかもしれない。
この思いを何度繰返し、其の度に悔やんだ事だろう
嘗てのどこぞやの首長は 二言目には「おもい」ばかりを繰り返し何事も実現させなかった彼と私はその意味では同罪である。
今度こそは、同じ後悔をしないということを年頭に計るとするか。
年末に性懲りもなく悪口を垂れてしまった。これこそ、来年は改善せねばなと、ひとりごつ